赤山明神(赤山禅院)はどのような場所?親鸞聖人と玉日姫の問答について

今回は、赤山明神がどのような場所か、また親鸞聖人と玉日姫の問答について、解説します。

目次

比叡山での美しい女性との出会い

親鸞聖人が比叡山で修行されていた26歳頃、赤山明神(現在の赤山禅院)という場所で、美しい女性と出会いました。

この出会いによって親鸞聖人は、これまで以上に煩悩で悶え苦しむことになります。

この赤山明神とはどのような場所でしょうか。

赤山明神とは

赤山明神は神社ではなく、比叡山延暦寺の別院である寺です。明治時代初期に赤山禅院と改名されました。

京都市左京区修学院開根坊町に位置し、天台宗比叡山延暦寺の別院として知られています。

赤山明神の起源は、天台宗第三代座主円仁が中国へ渡った際に、修行成就と航海の安全を祈願したことに由来します。

帰国の途中、海上で遭難しかけた円仁は、赤山明神の加護によって無事に帰国できたため、この恩に報いるため、赤山明神の建立を計画したといいます。

しかし円仁は病に倒れ、その願いを果たすことができませんでした。

そこで、円仁は弟子たちに遺志を託します。

弟子たちは、円仁の恩に報いようと協力して、大納言南淵年名の旧邸跡を購入し、仁和4年(888年)に赤山明神を建立したのです。

本尊の、赤山明神は、中国の赤山から日本に取り入れた神であり、道教の泰山府君(たいざんふくん)と同じ神とされています。

赤山明神は、赤山禅院と言われ、修行の重要な場所となっています。

しかしなぜ仏教にもかかわらず、他の宗教の神を祀っているのでしょうか。

なぜ仏教なのに神を祀っているのか

天台宗や真言宗など「日本の著名な神は、実は仏が神の姿となって現れたものだ」と主張しました。

経典には、「仏は衆生を救うために、一時、いろいろなものに姿を変えて現れる」と説かれており、これを「本地垂迹」といいいます。

この本地垂迹を都合よく解釈した、「神社の神も元は仏であり、神も仏も一体だ」という説が、天台・真言によって広められ、社会の常識となっていたのです。

赤山明神も仏の化身として、重要な場所となっていました。

赤山明神と千日回峰行

赤山明神は特に千日回峰行の道場として有名であり、仏道修行者にとって重要な場所です。

千日回峰行とは、7年間かけて比叡山の峰々を歩き続ける過酷な修行で、途中、約300箇所で定められた修行を行う必要があります。

7年間で歩く距離は地球一周に相当すると言われています。

6年目からは、比叡山から雲母坂を登降し、赤山明神を往復する「赤山苦行」と称する荒行が始まります。往復の距離は約60kmにも及び、険しい山道を14~15時間かけて歩きます。

千日回峰行の行者は、山を下りて赤山明神で草鞋を履き替え、再び山へと向かいます。赤山明神には、これまでに行者が履き替えた多くの草鞋が残されており、その数から修行の過酷さが伺えます。

千日回峰行は、途中で断念することは許されず、断念する場合は自決しなければならないという厳しい掟があります。病気になっても、親の危篤の知らせが届いても、修行を中断することはできません。

親鸞聖人は、この千日回峰行以上に過酷な、大曼行の難行も成し遂げたと言われています。

修行の目的は、「死んだらどうなるのかわからない」という「後生の一大事」の解決一つでした。

親鸞聖人のご修行については、こちらの記事をお読みください。

親鸞聖人もよく赤山明神に参っていたと考えられています。

ある日、親鸞聖人が京都からの帰りに、赤山明神に参拝しました。

その時、美しい女性、玉日姫と出会われたのです。

玉日姫は、時の関白、九条兼実の娘です。

この時、玉日姫は親鸞聖人のことを知っていましたが、親鸞聖人はまだ玉日姫のことを知りませんでした。

親鸞聖人は赤山明神で玉日姫に呼び止められます。

赤山明神で玉日姫との問答

どこからともなく、

「親鸞さま、親鸞さま」

と呼びかける女性の声がしました。

「こんな所で、誰だろう?」

振り返ってみると、ハッとするほど美しい女性が立っていました。

「私を呼ばれたのは、そなたですか」

「はい。私でございます。親鸞さまに、ぜひ、お願いがあって……。どうか、お許しください」

「この私に、頼み?」

「はい、親鸞さま。今からどこへ行かれるのでしょうか」

「修行のために、山へ帰るところです」

「それならば、親鸞さま。私には、深い悩みがございます。どうか山にお連れください。この悩みを何とかしとうございます」

「それは無理です。あなたもご存じのとおり、このお山は、伝教大師が開かれてより、女人禁制の山です。とても、お連れすることはできません」

「親鸞さま。親鸞さままで、そんな悲しいことをおっしゃるのですか。伝教大師ほどの方が『涅槃経(ねはんぎょう)』を読まれたことがなかったのでしょうか」

「えっ、『涅槃経』?」

「はい。『涅槃経』の中には、『山川草木悉有仏性』と説かれていると聞いております。すべてのものに仏性があると、お釈迦さまは、おっしゃっているではありませんか。それなのに、このお山の仏教は、なぜ女を差別するのでしょうか」

「……」

「親鸞さま。女が汚れているから、と言われるのなら、汚れている、罪の重い者ほど、余計に哀れみたまうのが、仏さまの慈悲と聞いております。なぜ、このお山の仏教は女を見捨てられるのでしょうか」

鋭い指摘に、親鸞聖人は、返す言葉がありませんでした。

今でこそ比叡山は、観光バスや自家用車、ケーブルカーなどで、誰でも登ることができます。

どの寺へ参拝するのも自由です。

しかし、明治時代までは、「女人禁制」「女人結界の地」として、女性の入山は固く禁じられていました。

老苦、病苦にさいなまれ、やがて死んでいくのは、男性も女性も同じです。

「死んだらどうなるのか」と、真っ暗な心に苦しんでいるのは、男性だけではないのです。

それなのに、なぜ、比叡山の仏教は、女性を差別するのか……。

赤山明神における玉日姫の言葉は、親鸞聖人の胸に深く突き刺さるのでした。

やがて玉日は、

「親鸞さま。どうか、すべての人が平等に救われる教えを明らかにしてくださいませ」

と言い残し、どこへともなく去っていきました。

当時、天台宗はなぜ女人禁制の山だったのでしょうか。

女人禁制の山である理由

玉日姫と出会われた当時、親鸞聖人は、範宴というお名前でしたが、わかりやすく親鸞聖人とします。

『親鸞聖人正明伝』の中で、親鸞聖人は、玉日姫に女人禁制の理由を次のように説明されています。

抑我比叡山は、舎那円頓の峯高く聳え、五障の雲のはれざる人は登ることを許さず。止観三密の谷深く裂けて。三従の霞に迷ふ輩は入ることを得ず。『法華経』にも女人は垢穢にして仏法の器に非ずと説きたまえり。されば、山家大師の結界の地と定めたまうもことはりなり。

引用『親鸞聖人正明伝』

意訳:さて、我が比叡山は、舎那(仏の智慧)円頓(円満で速やかな悟りの境地)の教えの峰がそびえ立ち、女性が持つとされる、五障(悟りを妨げる五つの障り)の雲が晴れない者は、登ることを許されません。また、瞑想(止観)や密教(三密)などの修行の谷は深く、女性が従うとされる三従(父、夫、子に従うこと)に迷う者は、入ることを許されません。『法華経』にも、女性は汚れが多く、仏法の教えを受ける器ではないと説かれています。したがって、伝教大師(最澄)がこの地を結界の地と定めたのも、もっともなことなのです。

親鸞聖人は、女性が山に登れない理由を天台宗の教えや法華経の根拠をもとに切々と説明しています。

ここだけみれば、仏教は女性差別の教えのようにみえますが、なぜこのように教えられていたのでしょうか。

儒教の教えである『儀礼』には、女性は三従の義といって「嫁がざる時は父に従い、嫁しては夫に従い、夫、死すれば子に従う」べきだと説かれています。

世界的に有名な聖人の一人である孔子でさえ、自身の離婚経験からか、『女性と小人(徳のない人間)は扱いが難しい。優しく近づけば失礼だし、疎遠に冷たくすれば恨む』と嘆き、女性と小人を同列と捉えて諦めています。

仏教でも、女性を罪深い存在として語っている箇所があります。

『女性は罪が重いため、梵天、帝釈、魔王、転輪聖王、仏にはなれないという五つの障りがある』という教えや、『大蛇を見ても女性を見るな』『火の中に入っても女性に近づくな』『女性は地獄からの使いだ』といった言葉もあります。

しかし、これらの言葉は決して女性蔑視の考えから出たものではありません。

主に男性の僧侶や修行者に向けて、『女性に惑わされて修行の妨げにならないように』と、女性の一部の側面を強調して注意を促しているのです。

その証拠に、仏教の経典には現代の男女平等論にも劣らない平等な考え方が説かれています。

例えば、『六方礼経』には、『夫は外出する時も帰宅する時も、妻を敬わなければならない』と書かれています。

しかし仏教の教えは、女性蔑視ではないとはいえ、天台宗では女性は修行することすらできません。

玉日姫は天台宗の教えの矛盾を鋭く指摘します。

教えの矛盾

玉日姫は、親鸞聖人に対し、お経の根拠をもって矛盾点を問いかけます。

伝教ほどの智者、なんぞ「一切衆生悉有仏性」の経文を見たまわざるや。そもそも、男女は人畜によるべからず、若この山に鳥獣畜類にいたるまで、女と云うものは棲まざるやらん。円頓の中に、女人ばかりを除かれなば、実の円頓にはあらざるべし。十界十如の止観も、男子に限るとならば、十界皆成は成ずべからず。『法華経』に「女人非器」とは説ながら、龍女が成仏は許されたり。胎蔵四曼の中にも天女を嫌うことなく三世の仏にも四部の弟子は有ぞかし。

引用『親鸞聖人正明伝』

意訳:伝教大師ほどの智慧のある方が、どうして『一切衆生悉有仏性』という経典の教えをご存知ないはずがありましょうか。そもそも、男女の区別は人間だけでするべきではありません。もしこの山に鳥や獣などの生き物に至るまで、『女』というものが棲んでいないのでしょうか。円満な教え(円頓)の中で、女性だけを除外するのであれば、真の円満な教えとは言えません。十界十如の止観も、男性に限るとするならば、全てのものが悟りを開く十界皆成ではありえません。『法華経』に『女性は仏法を受ける器ではない』と説かれている一方で、龍女の成仏は認められています。密教の曼荼羅(胎蔵四曼)の中にも天女は描かれており、過去・現在・未来の全ての仏にも四種類の弟子(比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷)がいらっしゃいます。

玉日姫の指摘をまとめるなら次のようになります。

  • 天台宗の教えを「円満の教え」と言っているが、女性を除外する教えは円満な教えとは言えない
  • 天台宗の教えは、すべての人が救われる十界皆成と言いながら、女性を除くならば十界皆成ではない
  • 法華経は「女人非器」といいながら龍女の成仏を許す
  • 密教の曼荼羅にも天女が描かれている
  • 三世の諸仏の弟子に女性の僧侶である比丘尼、在家の女性信者である優婆夷がいる

親鸞聖人は、理路整然とした反論に、何も言い返せませんでした。

すべての人が救われると説きながら、女性や修行のできないものは救われない教えは、本当の仏教なのだろうか。

親鸞聖人は、玉日姫との問答で、天台宗の教えで本当に救われるのか、悩みを深められます。

そして親鸞聖人の心には、この日から異変が起きたのです。

親鸞聖人の煩悩との戦い

玉日姫との出会い以降、親鸞聖人の心は激しく揺れ動きます。

伝統的な仏教である聖道仏教では、僧侶が女性に心を奪われることを厳しく戒めています。

いくつもの仏教宗派がありますが、教えをまとめれば「戒定慧の三学」を修することにほかなりません。

「戒」は煩悩をおさえ、「定」は煩悩をさえぎり、「慧」とは煩悩を断つということ。

親鸞聖人は女性の面影を忘れられず、煩悩を抑えようとすればするほど、煩悩の火は燃え盛ります。

「欲や怒り、ねたみなどの煩悩にまみれた人間は救われないのか」

「どうすれば後生の一大事を解決できるのか」

「このままでは後生は地獄だ」

と、親鸞聖人の苦悩は深まり、ついに、聖道自力の仏教にみきりをつけ、下山を決意されたのでした。

親鸞聖人が比叡山を下山されたときのことについては、こちらの記事をお読みください。

経典には、すべての人間が仏になれるような性質、つまり仏性があると説かれていますが、本当に私たちに仏性はあるのでしょうか。

仏性は本当にあるのでしょうか

経典には「一切衆生悉有仏性」とあり、今日では「山川草木悉有仏性」とも言い換えられていますが、私たちに仏性はあるのでしょうか。

真面目に自分自身を見つめれば見つめるほど、仏性があるとは思えなくなります。

実は、大心海化現の菩薩と言われる善導大師でさえ、次のように告白されています。

「自身は、現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来常に没し常に流転して、出離の縁有る事無し」と深信す

意訳:現に、私は極悪最下の者、果てしない過去から苦しみつづけて、未来永遠に救われることのないことが、ハッキリ知らされた

「仏になる性など微塵もない」と善導大師が仰っておられます。

また親鸞聖人も次のように言われています。

一切の群生海、無始より已来、乃至今日・今時に至るまで、穢悪汚染にして清浄の心無く、虚仮諂偽にして真実の心無し

『教行信証』信巻

意訳:すべての人間は、果てしない昔から今日・今時にいたるまで、邪悪に汚染されて清浄の心はなく、そらごとたわごとのみで、真実の心は、まったくない

親鸞聖人は、人間には善のカケラもないことを明らかにされています。ですから私たち人間には、とても仏になれるような性質があるはずがありません。

では、「悉有仏性」(すべてに仏性あり)と経典に書いてあるのは嘘なのでしょうか。

決してそんなことはありません。

仏性と聞くと、何か金色の光り輝く玉のようなものだと考えがちですが、それは間違いです。

仏性とは、「私たちに仏性あらしむる仏智のはたらき」のことなのです。  

「悉有仏性」とは「悉有は仏性なり」ということです。

つまり「すべてに仏性がある」ではなく、「すべてに仏性がはたらいている」という意味なのです。

例えば、犬自身に仏性があるわけではありません。しかし、仏性は犬にもはたらいています。

ラジオは、電波がないと音を出しませんが、電波を受けると音を出します。

テレビも、電波がなければ映像を映しませんが、電波を受ければ映像を映します。

だからといって、ラジオやテレビ自体が、音や映像をもっていたとはいえないのと、同じなのです。

親鸞聖人は次のようにおっしゃっています。

五つの不思議を説く中に

仏法不思議にしくぞなき

仏法不思議ということは

弥陀の弘誓に名づけたり

引用『高僧和讃』

意訳:世の中に不思議なことが五つある。中でも釈尊は、「仏法不思議」以上の不思議はないと説かれている。

「仏法不思議」とは、弥陀の救いの不思議をいわれたものである

仏性とは、仏に成る縁なき私たちを救う、十方遍く照らす阿弥陀仏の不思議な光明であり、本願力のことをいうのです。

編集後記

赤山明神に出会ったころの玉日姫は、真剣に仏教を求めようとしても、比叡山に登ることすら許されませんでした。

親鸞聖人は出家はできましたが、後生の一大事の解決を求めても求めても求まらず、玉日姫の鋭い指摘を受け仏教への疑問がさらに深まり、悩み苦しみ求め続けられます。

すべての人が救われる阿弥陀仏の本願を聞かせていただけることは、決して当たり前のことではありません。

私たちも親鸞聖人の教えに出会うまでは、人生の目的は何か、本当の幸福とは何かわからず、生きてきましたが、今、阿弥陀仏の本願を聞かせていただいています。

これからも順境に感謝し、逆境に奮起して、浄土真宗親鸞会京都会館で真剣に阿弥陀仏の本願を聞かせていただきましょう。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次