浄土真宗– category –
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浄土真宗
錦織寺勝慧の決断 ―蓮如上人への帰参―
室町時代中期。近江の地に、錦織寺という有力な寺院がありました。 浄土真宗木辺派の中心として、多くの門徒を抱え、その勢力は近江だけでなく、大和(奈良)、伊賀、伊勢(三重)へと広がっていました。 錦織寺についてはこちらもお読みください。 代々、... -
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存覚上人と木辺門徒 ― 滋賀・錦織寺に花開いた親鸞聖人の教え
木辺派錦織寺は、浄土真宗の歴史において、滋賀県の布教において重要な役割を果たしてきました。 親鸞聖人の教えがどのようにこの地に伝わり、錦織寺と存覚上人との深い関わりを中心に、その歴史をたどっていきます。 真宗十派とは 木辺派は「真宗十派」の... -
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親鸞聖人の晩年 ―衰えぬ情熱で著した教えと弟子との交流
親鸞聖人は、60歳を過ぎて関東から京都へ戻り、晩年を過ごされました。 しかし、決して弟子たちとの交流を絶たれたわけではなく、手紙のやりとりや対面でのご教導を続けられていました。また、晩年の京都では多くの著作も残されています。 今回は、そうし... -
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京都で訪れたい親鸞聖人ゆかりのスポット
今から850年以上も昔、平安時代の末期。 貴族が華やかな暮らしを送る一方で、多くの人々が争いや苦しみの中にいた時代。 京の都の南、日野の里で一人の男の子が産声をあげました。藤原氏の流れをくむ、恵まれた家柄の生まれ。 この子が、のちに世界の光と... -
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晩年の親鸞聖人~京都での生活と善鸞義絶の悲劇~
親鸞聖人は、還暦を過ぎて関東から京都に戻られました。そこからの約30年間は、むしろそれまで以上に精力的に布教に励まれました。 この期間に、親鸞聖人は主要な著作を完成させ、遠く離れた弟子たちを手紙で導き、そして長子との悲しい別れを経験しながら... -
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京都の岡崎別院と法然門下時代の親鸞聖人について
今回は、法然門下時代の親鸞聖人とお屋敷のあった場所とされる岡崎別院について紹介します。 親鸞聖人の京都のお住い 親鸞聖人は、法然門下時代と、60歳を過ぎ、関東布教から京都に帰られた時も、最初に岡崎の草庵に住んだと言われています。 その時に住ん... -
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吉水草庵における親鸞聖人と法然上人の邂逅
今回は、親鸞聖人が、吉水草庵で法然上人とお会いしたときのことを紹介します。 聖覚法印の導きについては、以下をご覧ください。 真の知識・法然上人との邂逅 親鸞聖人は吉水の草庵で法然上人と出会われたといいます。 吉水の草庵は法然上人が浄土宗を打... -
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四条大橋での聖覚法印のお導き
今回は、親鸞聖人が四条大橋で聖覚法印と出会われたときのことを紹介します。 比叡山を降りられるまでの親鸞聖人については、以下をお読みください。 四条大橋での聖覚法印のお導き 親鸞聖人は、六角堂で百日の祈願をなされました。 しかし、なおも一大事... -
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比叡山無動寺谷大乗院での夢告について
今回は、親鸞聖人が、比叡山無動寺谷大乗院で受けられた夢告についてです。 まず最初に、無動寺谷大乗院とはどのような場所なのか、説明します。 無動寺谷大乗院とは 無動寺谷とは、第3代天台座主「慈覚」の弟子で、回峯行をはじめた「相応」が開いた場所... -
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赤山明神(赤山禅院)はどのような場所?親鸞聖人と玉日姫の問答について
今回は、赤山明神がどのような場所か、また親鸞聖人と玉日姫の問答について、解説します。 比叡山での美しい女性との出会い 親鸞聖人が比叡山で修行されていた26歳頃、赤山明神(現在の赤山禅院)という場所で、美しい女性と出会いました。 この出会いによ...
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