比叡山無動寺谷大乗院での夢告について

親鸞聖人旧蹟

今回は、親鸞聖人が、比叡山無動寺谷大乗院で受けられた夢告についてです。

まず最初に、無動寺谷大乗院とはどのような場所なのか、説明します。

目次

無動寺谷大乗院とは

無動寺谷とは、第3代天台座主「慈覚」の弟子で、回峯行をはじめた「相応」が開いた場所です。比叡山三塔のうち東塔に属する五つある谷の1つで、京都に一番近いのが無動寺谷です。

無動寺谷は、叡山中でも特に景勝の地で、琵琶湖を眼下に見下し、遠方の地まで見渡せる場所もあります。

無動寺谷の「無動」は不動、不動明王という意味で、不動明王が信仰されている谷であり、以下のような複数の寺院や堂宇があります。

  • 無動寺明王堂
  • 法曼院
  • 護摩堂
  • 宝珠院
  • 大乗院
  • 玉照院
  • 松林院
  • 無動寺弁財天社

このうち、無動寺明王堂は、回峯行の根本道場とされ、千日回峰行で行う断食、断水、不眠、不臥の「堂入り」の行もここで行われます。かつて親鸞聖人の師匠であった慈鎮和尚も、 21歳から一千日の間、無動寺明王堂にこもって修行され、後には無動寺谷の寺をまとめる責任者「無動寺検校」の職につきました。

千日回峰行については、こちらをお読みください。

無動寺谷大乗院は、1194年(建久5年)8月16日に慈鎮和尚の兄である九条兼実公の布施により建立されます。

一生の間に4度も天台座主の職につかれた慈鎮和尚は、山を下れば青蓮院に住み、山に登れば大乗院に住んでいたといいます。

親鸞聖人は、出家したのち慈鎮和尚に連れられ、最初は無動寺谷大乗院で勉学に励まれていたと言われています。

親鸞聖人旧蹟

親鸞聖人の出家については、こちらの記事をお読みください。

現在の無動寺谷大乗院は、千日回峰行をしている行者が住職になり、行者がいなければ無住寺院となります。

親鸞聖人は、後生の一大事の解決を求め、真剣に修行に励んでいましたが、19歳の時に比叡山での求道に行き詰まってしまいます。今、死んだらどうなるのかと考えると、真っ暗な心しか出てきません。親鸞聖人は、どうすれば「後生の一大事」を解決できるのかと、かねてから深く尊敬していた聖徳太子にお尋ねしたいと思われました。

そこで大阪にある聖徳太子の御廟に行き、「聖徳太子さま。煩悩に汚れ、悪に染まった親鸞、救われる道がありましょうか。どうか、お教えください」と、必死に祈願を続けられたのです。

そのとき、聖徳太子から「そなたの命は、あと、十年なるぞ」と夢告を受け、親鸞聖人は大きな衝撃を受けられました。この夢告を、磯長の夢告といいます。

磯長の夢告については、こちらの記事を御覧ください。

親鸞聖人は、急いで比叡山に戻り、法華経の修行に打ち込まれたといいます。

そして磯長の夢告から9年後に、親鸞聖人は大乗院にて、如意輪観音から夢告を受けられました。

大乗院の夢告

磯長の夢告より9年たった正治2年(1200年)12月上旬、28歳になられた親鸞聖人は目前に迫る一大事の後生に懊悩なされて、21日間(三七日間)、比叡山の南、無動寺谷の大乗院にこもり、修行されるようになりました。

「三夢想記」と呼ばれる親鸞聖人のお手紙には、次のように記されています。

正治第二庚申十二月上旬、睿南无動寺に大乗院に在り。同月下旬終日前夜四更、如意輪観自在薩埵、告命して言う。「善い哉、善い哉、汝が願い将に満足せんとす。善い哉、善い哉、我が願いも亦満足す」

出典:『三夢想記』

「正治第二庚申十二月上旬」は、正治2年(1200年)庚申(かのえさる)の年、12月上旬にという意味です。親鸞聖人28歳のときです。

「睿南无動寺に大乗院に在り」は、比叡山の南、無動寺谷の大乗院にいました、という意味です。

「同月下旬終日前夜四更、如意輪観自在薩埵、告命して言う。」は、参籠の満願にあたる12月30日の四更(午前2時)如意輪観音が現れて親鸞聖人は再び夢告にあずかったことを記されています。

「善いかな、善いかな、汝が願、まさに満足せんとす。善いかな、善いかな、我が願、満足す」とは、「おまえの後生の一大事、解決できる日は近いぞ。絶望せずに求め抜け、私の役割も終わろうとしている」という意味です。

これらを大乗院の夢告といわれています。

年明けて29歳になられる親鸞聖人にとっては、比叡山時代の終わりに近いこの時は、まさに阿弥陀仏の絶対の救いは眼前に近づいていたのです。

この阿弥陀仏の絶対無二の救いに遇わせることが、一切の諸仏、菩薩の唯一の任務でありますから、如意輪観音もその使命を果たせる喜びを夢告したものと思われます。

このあと磯長の夢告で宣告された余命にあたる29歳のときに、親鸞聖人は六角堂を訪れ、百日間の参籠をされることとなります。

そして女犯の夢告を受けることとなるのです。

女犯の夢告については、こちらをお読みください。

編集後記

親鸞聖人の、磯長や大乗院、六角堂の夢告も、難しい内容が極めて鮮明に述べられています。

しかも、後日、そのまま事実となっていることに驚かずにおれません。

二十年間も、山にこもって勉学修行をされたので、生理的にも睡眠不足で夢を見られたとも考えられますが、不眠不休の求道に御仏も感動し、夢の中にまで現れ教導なされた霊夢としか思えないものばかりです。

私たちも親鸞聖人の出家の動機を忘れず、後生の一大事の解決一つを求め、浄土真宗親鸞会京都会館で真剣に聞法させていただきましょう。

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