浄土真宗– category –
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【覚如上人の生涯④】覚如上人の晩年と三代伝持の血脈
今回は、親鸞聖人の曾孫にあたる覚如上人の晩年の活躍と、「三代伝持の血脈」(法然上人→親鸞聖人→如信上人→覚如上人という正統な継承の系譜)について紹介します。 親鸞聖人が90歳で往生された後、その教えは各地に広まりましたが、同時に誤った解釈も生... -
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【覚如上人の生涯③】なぜ愛する息子・存覚上人を義絶されたのか
今回は、覚如上人と長男・存覚上人との関係について紹介いたします。 親鸞聖人のご遺徳を守り、本願寺という法城を築かれた覚如上人。 その生涯で最も悲劇的な出来事が、「学才、父に勝るとも劣らない」と言われた天才の息子を、二度も義絶(勘当)された... -
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【覚如上人の生涯②】大谷御廟を護るための戦い—唯善事件
今回は、覚如上人が留守職をどのように守られたのか、紹介します。 以下の記事の続きになります。 唯善について 唯善は、父は禅念、母は覚信尼であり、覚如上人の父・覚恵にとって異父弟にあたります。 唯善は大納言雅忠の養子となり、当初は京都仁和寺で... -
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【覚如上人の生涯①】幼少期の苦難と広学多聞の青年時代
今回は、本願寺三代目・覚如上人の「苦闘の生涯」について紹介します。 私たちが今、浄土真宗の教えを正確に聞くことができるのは、ひとえに覚如上人のご活躍があったからこそです。 親鸞聖人がお亡くなりになった後、教団の組織がなかったために、教えは... -
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錦織寺勝慧の決断 ―蓮如上人への帰参―
室町時代中期。近江の地に、錦織寺という有力な寺院がありました。 浄土真宗木辺派の中心として、多くの門徒を抱え、その勢力は近江だけでなく、大和(奈良)、伊賀、伊勢(三重)へと広がっていました。 錦織寺についてはこちらもお読みください。 代々、... -
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存覚上人と木辺門徒 ― 滋賀・錦織寺に花開いた親鸞聖人の教え
木辺派錦織寺は、浄土真宗の歴史において、滋賀県の布教において重要な役割を果たしてきました。 親鸞聖人の教えがどのようにこの地に伝わり、錦織寺と存覚上人との深い関わりを中心に、その歴史をたどっていきます。 真宗十派とは 木辺派は「真宗十派」の... -
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親鸞聖人の晩年 ―衰えぬ情熱で著した教えと弟子との交流
親鸞聖人は、60歳を過ぎて関東から京都へ戻り、晩年を過ごされました。 しかし、決して弟子たちとの交流を絶たれたわけではなく、手紙のやりとりや対面でのご教導を続けられていました。また、晩年の京都では多くの著作も残されています。 今回は、そうし... -
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京都で訪れたい親鸞聖人ゆかりのスポット
今から850年以上も昔、平安時代の末期。 貴族が華やかな暮らしを送る一方で、多くの人々が争いや苦しみの中にいた時代。 京の都の南、日野の里で一人の男の子が産声をあげました。藤原氏の流れをくむ、恵まれた家柄の生まれ。 この子が、のちに世界の光と... -
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晩年の親鸞聖人~京都での生活と善鸞義絶の悲劇~
親鸞聖人は、還暦を過ぎて関東から京都に戻られました。そこからの約30年間は、むしろそれまで以上に精力的に布教に励まれました。 この期間に、親鸞聖人は主要な著作を完成させ、遠く離れた弟子たちを手紙で導き、そして長子との悲しい別れを経験しながら... -
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京都の岡崎別院と法然門下時代の親鸞聖人について
今回は、法然門下時代の親鸞聖人とお屋敷のあった場所とされる岡崎別院について紹介します。 親鸞聖人の京都のお住い 親鸞聖人は、法然門下時代と、60歳を過ぎ、関東布教から京都に帰られた時も、最初に岡崎の草庵に住んだと言われています。 その時に住ん...
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